あらためて木村仲久の写真を見つめるとき、心の襞にわけ入るように繊細でありながら、しかも骨太い鋭いふしぎな視線に驚かされる。思わず写面の底へ吸い込まれる抱擁の魅力はどこからくるのであろうか。

彼と話していて、不意に現れる遠いまなざしや、ぐいと身近かに引き寄せて吟味するような冷徹な眼に気づかされることがよくあったが、おそらく、そんな視線が暖かく優しい心情のなかに潜んでいて、どんなときでも向かい合う対象に複眼のまなざしを注いでいたのであろう。無上に優しい微笑の眼と、命運を見届けるような眼とを・・・。(中略)

『海鳴り』おいても、木村仲久の視線は、越前海岸や鳥羽の答志島、知多半島や渥美半島へと伸びている。駿河湾に注ぐ川沿いや港々を核にしながら、ひたひたと拡がる波紋のように港町の風土と人間の暮らしと自然の姿を追い求めていった。彼のふるさとは、しだいに地縁を越えて心の襞を撫で回すように周辺へ拡がっていった。

「僕は、いつも四季の移ろい、風のそよぎ、陽の輝き、雨や霧のむせびを、いい表情を、みんな撮りたい。写真は、僕が美しいものたちと在ったということの記念写真なんです。」

そう言った木村仲久は、幼児体験の大井川上流の川音を蘇らせながら、海鳴りの港町をさまよい、遠く富士の空を仰ぎ、うつくしい記憶をつぎつぎに映像の世界に送り込んでいったのである。

『海鳴り』は、「川」と「海」をこよなく愛した写真家、木村仲久の写業25年の総決算ともいうべき作品集であることを疑わない。(後略)

(木村仲久論  『海鳴り』の到達点  岡井耀毅 )